共和水産の第二章が始まった。
大雪も見方してくれて最高の引っ越しでした。。。
大雪を警戒して1日ずらして引っ越し作業を進めていた現場のみんな。
ありがとう。
事務所内の私の席から見える風景。
震災後、「この街は加工をもっと強くしないとダメだ」と思った。
と言うか、私が水産業に入ってからも良く聞く。
宮古は加工が弱い。
いや、言い方一つかもしれない。
加工が弱い=原料が強い。
と言う事か。
原料ばっかり。
冷蔵庫ばっかり。
いいかも知れない。
ただ、それだけでは宮古の水産の未来がなかなか見えづらい。
宮古の水産会社の方々は、みんな思っている事。
やれる奴が、きばってやらなきゃないんじゃないか?
宮古でもここまで出来るって。
俺は言いたかった。
口だけ男にはなりたくなかった。
自分で自分に気合いを入れ、更に高いハードルを。
まず、言ったんなら。
お前がやれって。
俺だったら思う。
逃げるな。俺。
宮古の水産の次世代の方々にも伝えたかった。
この震災で、もっとこの街を変えようぜ。って。
社長。一緒にラインを見に行ったら。
トンネルフリーザーで商品を流してみる。。。
30パックくらいで飽きてどこか行っちゃった。。。
この工場を設計し、指揮をとってくれて最後の大勝負をしてくれた、俺の親父。
ありがとう。お疲れ様でした。
共和水産の第二章。
始まり、始まり。
宮古の魚屋の次世代の方々へやっぱり言いたい。
何年後かにもっと誇れる宮古にしたくないですか?
この震災がもたらしてくれた事。
いっぱいあると思うんだ。
やっぱり現状に嘆いていないで、出来る事やるしかねぇよ。
被災地って言われているトコロにしか発信出来ないコト、モノがきっとある。
そう思ったから。
感じたのだから。
やるしかねぇだろ。
イカ王子☆